傳光院史記
当山の山号は、圓鏡山、院号は傳光院、寺号は清浄寺と号し、
当院の起立宇田源氏佐々木信綱の末胤、
江州高島郡沢村之城主沢村兵部あらため弼重之長男沢村藤助政長なる者、
父敗軍の後二男左京之助郷政は坂本に住居し、長男政長者大津中保町に住居して、
永禄三年庚申年の頃(1560年桶狭間の戦いの中)開山、
明譽上人に帰依し当院を建立す。
当院の山門は高島城の勝手門(六角矢尻の門)を移転せしものと伝えられる。
[近江輿地志略]
傳光院は「浄土宗知恩院の末派五個寺の其一也。
開基明譽恩信和尚。永禄三庚申建立なり。」